伊勢神宮・外宮
伊勢神宮の中心は内宮と外宮です。伊勢神宮の祭典は「外宮先祭」といいます。まず外宮で祭儀が行われる習わしです。祭儀の順序にならい参拝も外宮からお参りします。ツアーなどでは内宮のみお参りすることも多いですが余裕があるなら外宮から内宮の順番でお参りしましょう。
外宮への公共交通はJR・近鉄「伊勢市駅」が便利です。大阪・京都・奈良・名古屋からは観光特急「しまかぜ」がお伊勢参りの気分を高めてくれます。
「伊勢市駅」JR側改札から外宮参道をまっすぐ進むと約5分で外宮の森が見えてきます。外宮参道は昭和初期まで参拝者を運ぶチンチン電車「神都電車」が走っていました。
外宮は近くに市役所や裁判所などがある伊勢市の中心部に位置し周辺はオフィスビルなども立ち並ぶ繁華街です。
外宮前横断歩道を渡ればそこは外宮の敷地で大灯籠が東西二基が立っています。
また外宮前には三重交通 外宮前バス停があります。ここから内宮や月読宮・猿田彦神社などに行けアクセスも申し分ありません。
広く外宮と呼ばれますが正式名称は豊受大神宮です。御祭神は豊受大御神です。 豊受大御神は天照御大神たっての望みで伊勢にお迎えしました。
外宮の社伝「止由気宮儀式帳」によれば丹波国の比治の真名井に鎮座していた豊受大御神をここにお迎えしたのは内宮の御祭神、天照大御神の食事を調える為でした。名前の「うけ」とは食べものの事です。すなわち食の守護神です。更に食の充実と呼応して依と住にもご神徳があります。そこから産業全般に大いなる恵みをもたらすと考えられています。ここでは食と暮らしを支えてくださる神様に日々食に命を養えることへの感謝をこめてお参りしたいものです。
火避橋 外宮が左側通行で内宮はその逆、右側通行になります。表参道の火避橋から先が神域です。火避橋は第一鳥居口御橋ともいいますが防火用の堀川に架かることからこの名があります。
御塩橋 火避橋より少し西に進むと御塩橋と呼ばれている橋があります。二見の御塩殿神社で奉製された御塩が外宮に運ばび入れられるための小橋です。立ち入り禁止で遠くから望みます。
清盛楠 橋を渡った右手に平清盛の冠が触れたと逸話の残る大木の楠「清盛楠」があります。目立たない場所で見過ごす方が多いです。橋を渡ったらすぐ右側です。平安時代末期、勅使として外宮を訪れた平清盛が冠に枝が触れたため怒って切らせたという古木です。
清盛楠のうろの中で黒猫が赤ちゃんを産んでいました。最近、参拝者が野良猫に餌を与えるなどして増えており神宮で問題になっています。
手水舎 大きな水盤にたくさんの柄杓が置かれた手水舎で手と口を清めましょう。外宮は左側通行の為、手水舎も参道の左側にあるといわれています。手水は神聖な場所に入るための「禊ぎ」を簡略にしたものです。
第一鳥居 手水舎の先に見えるのが第一鳥居です。伊勢神宮の鳥居は檜造りのシンプルな神明鳥居です。鳥居は神様のお住まいの門に当たるので一礼してくぐりましょう。
鳥居に榊が飾られています。伊勢神宮では神聖な場所を示すものとして注連縄ではなく榊を用いるからです。
鳥居の先はうっそうとした樹林に覆われた参道が続きます。一歩足を踏み入れると静けさに包まれます。玉砂利が敷かれ、きれいに掃き清められた参道は木漏れ陽が優しく清々しい気配に満ちています。玉砂利を踏みしめる音、風のよそぎに耳を澄ませて参道を歩くことも心の禊ぎになるのでしょうか。
斎館と行在所 第一鳥居を進み右手側に見えてきます。
門の隅から見える左側の建物、斎館は祭典時に神職がお籠りする場所です。 斎館の奥にあるのが行在所です。天皇陛下や皇族の方が参拝時にお休みになるところです。
祓所 奉幣祭の時にお祓いを行う場所です。斎館と行在所の門の向かい側にあります。
第二鳥居 皇族の参拝の際はここで降車しお祓いを受けます。また天皇から幣帛という捧げものが届けられる時にもこちらで祓い清めが行われます。第二鳥居をくぐるとより清浄な神域に近づきます。
神楽殿とお札授与所 神様に神饌(お食事)をお供えし御神楽を奏上して御祈祷をする場所が神楽殿です。隣の授与所で申し込みます。お守りや御朱印もここで授与しています。参拝後にお求めください。神楽殿は平成12年(2000年)に完成した総檜造の御殿です。神楽殿は内宮にもありますが外宮の方が少し小さいです。受付時間は8時より16時までです。参拝時刻とは異なりますのでご注意下さい。
北御門(きたみかど) お札授与所横の道は北御門に通じます。お車の方は駐車場が近いのでここからが便利です。外宮へ参拝する手順は表参道と北御門参道(裏参道)から入る2通りあります。電車ではなく徒歩で参拝していた時代は北御門からの出入りが宮川に近いので一般的でした。明治30年(1897年)に伊勢に鉄道が開通しました。
四至神 御祭神は四至神です。四至神は内宮だけでなく外宮にも鎮座しています。外宮の四方、境内を守る神様です。結界が張られており近くに寄っては見えませんが社殿はなく中央に一本の榊が植えられた小さな石の祭壇に祀られています。 後方の建物、五丈殿と九丈殿の近くにあり自然に馴染んでおり見落としやすい場所です。
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五丈殿と九丈殿 四至神の近くにある板葺、切妻造りの建築物が五丈殿と九丈殿です。雨天の際のお祓いを行う他、摂社・末社の遙祀に用いられます。
古殿地 五丈殿と九丈殿を過ぎると、とても広大な場所が目に入ってきます。古殿地です。神宮の両正宮と別宮は基本的に東西に同じ広さの敷地を持ちます。前回の式年遷宮まで社殿が建っていた敷地を古殿地と呼びます。式年遷宮の諸祭が始まってから遷御までの間は同じ敷地を新御敷地と呼び名が変わります。また外宮先祭という慣例がありますが式年遷宮だけは内宮の儀式が先です。
古殿地の中央に覆屋と呼ばれる建物があります。御正宮の中心となる大切な場所です。
御正宮 御正宮には四重の御垣で守られたもっとも清浄な内院に御正殿があります。そこに豊受大御神が祀られています。一般の参拝が許されるのは白い御幌(みとばり)のかけられた外から2番目の外玉垣南御門の前までです。御神前では携帯電話を切り、静寂を心掛け二拝二拍手一拝で参拝しましょう。
外宮は内宮と祀る神様も違えば御正殿の屋根にある千木や鰹木など建築的な相違も多いです。その違いを見て楽しむのもおすすめです。御正殿の社殿の配置も異なります。外宮では東西の宝殿を正殿の手前に並べ東北の隅に神様の食堂ともいうべき御饌殿があります。内宮の神楽殿の横も御饌殿と呼ばれますがこちらは参拝者が祈祷を受ける場所です。神様の食堂としての御饌殿は外宮だけのものです。
正宮の向いには原生林が広がります。
三ツ石 式年遷宮のお祭りの際にお祓いが行われます。通称三つの石が置いてあるので三ツ石。古殿地の前にあります。撮影時にはちょうど三ツ石に一筋の光が差し込んでおります。ここをパワースポットと称し○○元首相大臣などこの上に手をかざす人が多いのですが神様をお祀りしている場所です。慎みましょう。
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御池 御正宮の前に広がる御池は外宮を突き抜けて流れていた宮川の支流、豊川が埋まってできた池です。鯉や亀も泳いでいます。
多賀宮遙拝所 三方を縄で囲まれたこの場所は足腰の不便な方、時間に余裕のない方など別宮をお参りできない時はここで多賀宮の拝礼ができます。
亀石 別宮の参拝へ向かう御池に架かる大きな一枚岩の石橋です。その姿形が亀に似ているので亀石と呼ばれています。
横から見ると亀の形が良くわかりますのでぜひ横に回ってみましょう。
外宮のご正殿は唯一神明造です。出雲大社の大社造と共に日本最古の建築様式を伝えています。近代建築の巨匠ドイツの建築家ブルーノ・タウトは 戦前の昭和8年に外宮を訪れた際に「伊勢は世界の建築の王座だ。 最初に誰が作ったのかわからない。おそらく天から降ってきたのだろう。特に外宮が素晴らしい」と外宮を絶賛したそうです。質素なつくりの中に日本美の極致を見たのでしょう。外宮のご正殿は見えませんが唯一神明造りの風宮の社殿が亀石を過ぎた辺りでよく見えます。
ここの石垣にハートの形をした石があります。Zoom up !
多賀宮 98段の石段を登りきった高台にあります。丘の上にあるお宮の為、江戸時代まで高宮と書かれていたそうです。明治時代以降に現在の名前に改められました。
多賀宮 外宮の別宮の中で最も格式が高い第一の別宮として豊受大御神の荒御魂をお祀りしています。荒御魂とは神の活動的で能動的な側面を表します。お祭りの際は正宮に続いて祭儀が行われます。外宮の中でも歴史が古く、外宮で一番早く別宮になったのが多賀宮です。伝承によれば雄略天皇22年(478年)の外宮創建と同時に創建されたと伝わっています。
寝地蔵石 多賀宮の手前の石はまるでお地蔵さんが寝ているみたいなのでこの名が生まれました。多賀宮への参拝者に長年踏まれて自然にこの形が生まれたそうです。少し雨水でぬれている時の方が目鼻立ちがしっかりして分かりやすいです。
下御井神社 別名は少宮(わかみや)と呼ばれているそうです。御祭神は下御井鎮守神です。多賀宮へ向かう石段の西側の沢の奥に鎮座しています。三ツ石、同じく光が差し込んでいます。
外宮には上御井神社もあります。そこの井戸で神様にお供えする水を汲んでいますが上御井神社に不都合があった際にはこちらの水を使います。元々多賀宮の御料水に用いられていましたが、現在は上御井神社有事の非常用水です。上御井神社は立ち入り禁止の場所にあり参拝できません。
土宮 土宮の御祭神は外宮一帯の守り神、大土乃御祖神です。豊受大御神がここに鎮座される前から崇敬されてきた神様です。太古からの土地の守護神です。かつて土宮は「土御祖社」と呼ばれていました。摂社以下の扱いでした。しかしたびたび氾濫を起こしていた宮川の洪水を防ぐため大治3年(1128年)6月に宮川の治水、堤防の守護神として別宮に加えられました。他の宮社はすべて南向きに造られていますがここは東向きです。
式年遷宮では土宮社殿前(宮山祭場)で御船代祭が行われます。御船代とは御神体を納める御樋代を泰安するための檜造りの容器です。この檜を伐採する時に催されるのが御船代祭です。
風宮 農作物の生育を司る神様です。風宮は内宮の風日祈宮と同じ御祭神です。級長津彦命と級長戸辺命を祭る別宮です。風宮はかつて「風社」と呼ばれる小さな社で摂社以下の扱いでした。しかし文永・弘安の役の蒙古襲来で祈祷を行いその結果日本に押し寄せた10万人の蒙古軍は暴風雨に見舞われて撤退したことから正応6年(1293年)に別宮に昇格しました。元来は農耕に適した雨風をもたらす神様でしたが以来、国難を日本から守る神様としても崇められています。毎年5月14日と8月4日に五穀豊穣と雨風の順調を祈る風日祈祭が行われます。風宮の脇、鳥居を出て東向きに皇女倭姫への拝礼がなされていたこともかつてはあったそうです。(神拝式類集)
多賀宮への階段途中から風宮の屋根が見えます。
風宮を参拝し余裕があるならばお札授与所まで戻り木陰が心地よい北御門参道(裏参道)を歩きましょう。
御饌殿 御正宮でも説明した神様の食堂、御饌殿は北御門参道から正宮の瑞垣越しに一部見ることができます。御饌殿は板校倉造(あぜくらつくり)です。柱は使わないで横板壁を井桁に組み合わせます。蒸し器の蒸籠に似た構造になっています。その建築様式は弥生時代の穀倉建築様式にさかのぼることができます。ここの階段は刻御階(きざみぎようかい)といいます。1本の丸太を刻んで作った階段です。
これが校倉造りです。ちなみに日吉大社の物です。
忌火屋殿 外宮では毎日行われるお祭りがあります。日別朝夕大御饌祭といい神様のご馳走を朝夕用意するお祭りです。1年365日、朝夕の2回、外宮で必ず行われています。これは内宮にいる天照大御神などに食事を差し上げる儀式です。約1500年も続く外宮だけの祭事です。天照大御神の託宣に従い、食べ物の神、豊受大御神を迎えて創建されたという由来を持ちます。
その為、現在でも外宮では伝統的な手法に沿って御饌(食事)を用意し神様に捧げています。前日から潔斎していた神職が忌火屋殿に向かい御火きり具を使って清浄な忌火を切り出します。日別朝夕大御饌祭の時間に行くと屋根から昇る煙が見えます。御饌は檜の折櫃に納められ御饌殿へ運ばれます。
御厩(みうまや)忌火屋殿を過ぎて左手側に天皇陛下から賜った神馬のための御厩があります。普段はここにおらず神馬休養所で飼育されています。馬は神様の乗り物です。神馬は毎月1,11,21日に御正宮をお参りします。
御厩の北側に脇道が伸びています。
この道は森と近く力強い自然の力を感じます。どこか屋久島に似ています。
度会国御神社 外宮鎮座地である度会地方の守り神を祀った外宮の摂社です。明治維新まで外宮の神職を代々務めた度会氏の祖神・天日別命の御子が御祭神です。社殿は神明造りの板葺で玉垣に囲まれています。
ところで伊勢神宮の中心、内宮と外宮の関係は微妙でした・・・。
内宮の神職を務めてきたのは荒木田氏で中臣系です。外宮の神職を務めてきたのは伊勢国造の系統です。それが度会氏です。外宮は内宮をライバル視してきました。外宮は内宮より後に祀られましたが中世になるとその地位を高めようとする運動が起きました。外宮の神職を世襲してきた度会氏が豊受大御神は天照大御神よりも前に誕生した神様、天之御中主神であり内宮よりさらに優れていると説いた「伊勢神道」を唱えました。
「伊勢国風土記」では度会氏は初代天皇神武天皇の御代に伊勢を平定した天日別命(あめのひわけのみこと)の末裔です。また「先代旧事本義」には饒速日命に供奉して大和に舞い降りた人々のなかに度会氏の祖、天村雲命(あめのむらくものみこと)がいたとあります。
大津神社 渡会国御神社の奥に鎮座しています。御祭神は葦原神です。五十鈴川の河口にある大湊の港口の守り神でした。長らく祭祀が断絶していましたが明治6年(1873年)に外宮の宮域内に再興されました。
上御井神社 大津神社の奥に鎮座しています。上御井神社は下御井神社のとことで少し説明しましたが、フェンスの向こう側なり一般参拝者は立ち入り禁止です。伊勢神宮125社めぐりも残念ながらここは行けません。御祭神は上御井鎮守神です。外宮の御料水、または御料水を汲み上げた井戸の守り神です。神職が水を汲む際は毎朝、外宮境内にある上御井神社に出向き鍵を使って扉を開け柄の長い柄杓を用いて水面に自分の姿が映らないようにして桶一杯分の水を汲み上げます。上御井とは神に供える水を汲む井戸の事です。
渡会国御神社や大津神社は外宮の地図にも載っていませんが是非とも雰囲気のいい参道にあります。余裕がある方は足を運ばれてもいいです。そして後、北御門参道を抜けて徒歩5分の別宮の月夜見宮に行くのもおすすめです。
更に伊勢神宮を詳しく知りたい方は外宮表参道入口近くにある「せんぐう館」がおすすめです。前回の第62回の式年遷宮(2013年)に合わせて創建された博物館です。20年に一度行われる「式年遷宮」の祭りや歴史などを分かりやすく常設展示しています。外宮正殿の原寸大模型など約200点が展示されています。
入館時間9:00~16:00(観覧は16:30まで)休館日第4火曜日(祝日の場合は翌日休み)入館料一般300円小中学校100円
せんぐう館 住所、三重県伊勢市豊川町前野126-1まが玉池 電話番号、0596-22-6263
まが玉池 せんぐう館前の装飾具のまが玉の形をした池です。5月上旬から6月下旬まで花菖蒲がきれいに咲きます。奉納舞台が設けられています。ここでは仲秋の名月の宵には神宮観月会も催されます。ベンチが設けられ池を見ながら休憩がとれます。
伊勢神宮・外宮 住所〒516-0042 三重県伊勢市豊川町279 電話番号 0596-24-1111 参拝時間:午前5時から参拝停止時間午後6時まで。(参拝停止時間は5月から8月までは午後7時まで、10月から12月までは午後5時まで)お札や御朱印のお取り扱いもしています。アクセス JR・近鉄伊勢市から徒歩5分。
おまけ
外宮の情報を書いている私は実際に伊勢神宮のガイドをしており今まで多くの参拝者を案内してきましたが、皆さん伊勢神宮の「外宮」「内宮」をなんと読みますか?多くは「げぐう」「ないぐう」と読みます。しかし本当は「げくう」「ないくう」と読みます。濁点は付きません。濁りません。
また「げくう」を下宮と書く方もいます。正しくは外宮ですが実は下宮も存在します。八幡神社の総本社、宇佐神宮(大分県)の下宮です。宇佐神宮には上宮(じょうぐう)と下宮(げぐう・こちらは濁りますが・・・。)の二宮あって御祭神はどちらも変わらず八幡大神(応神天皇)・比売大神・神功皇后です。
・ガイドツアー付き・一人でも安心・内宮近くの参宮の宿 宿屋五十鈴
- 伊勢神宮の御朱印情報
- 参拝のもう一つのカタチ 御神楽
- 参拝のもう一つのカタチ 御垣内参拝(特別参拝)
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- 伊勢神宮・内宮の別宮 倭姫宮
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- 伊勢神宮・内宮の別宮 瀧原宮
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