伊勢神宮・内宮の別宮 伊雑宮

正宮に次ぐ格式高いお宮、それが別宮です。内宮や外宮の域内にも別宮がありますが、少し離れた場所にもあります。なかでも伊勢から遠く離れた瀧原宮や伊雑宮の別宮のことを「遙宮」(とおのみや)と呼びます。参拝者で賑わう両正宮参拝の後は静かで趣のある別宮をおすすめします。

内宮・外宮に内宮十か所、外宮4か所のあわせて14の別宮があります。そのうち9社が宮域外にあります。

外宮の別宮である月夜見宮以外は内宮の別宮で月讀宮(月讀宮つきよみのみや・月讀荒御魂宮つきよみのあらみたのみや・伊佐奈岐宮いざなぎのみや・伊佐奈弥宮いざなみのみや)、倭姫宮やまとひめのみや、伊雑宮いざわのみや、瀧原宮たきはらのみや(瀧原宮、瀧原竝宮たきはらのならびのみや)があります。宮域外の9の別宮巡りをおすすめします。

 

 

「遙宮」の一つ伊雑宮 

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駐車場は広いですが駐車場から伊雑宮へ行くには一旦公道へ出ます。直接境内に入れません。

 

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入り口の看板 

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鳥居の前で一礼し境内に入ると、右手にあるのが宿衛屋です。
ここで、御朱印やお札やお守などが受けられます。御朱印などは参拝後にお求めください。

ここは志摩の海に近く漁師や海女さんの崇敬を集めてきました。磯守というお守りが有名でこれを身に着けて漁にでるそうです。パンフレットも置いてあります。 

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巾着楠 宿衛屋横にある大楠は、根本部分が大きく膨らんでいる形から「巾着楠」と呼ばれ親しまれています。不思議な形です。元々は石があったその上から楠が成長と共に石を飲み込んでこの不思議な形になったそうです。 

 

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井戸 参道の脇には井戸があります。珍しいつるべ式です。滑車を利用した手動の井戸です。 

 

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忌火屋殿と祓所
忌火とは清浄な火という意味です。御火鑽具(みひきりぐ)を用いて昔ながらの方法で火を起こし神様のお供えを作るところです。
忌火屋殿の前は、祓所と呼ばれ、祭典の前に神饌と神職を祓い清めます。

 

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参道には2本並んだ大きな杉の木があります。
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本は上に真っすぐ伸び、片方は斜めに傾いたまま成長しています。

 

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これ以外にも緑豊かな鎮座の森には大木が参道から見えます。

  

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古くより瀧原宮と共に伊勢神宮の遙宮といわれてきました。伊勢神宮の別宮の中で唯一、志摩にあるのが伊雑宮です。地元では「いぞうぐう」「磯部の大神宮」と呼ばれています。天照大御神御魂をお祀りし内宮の別宮として祭典などは内宮同様に奉仕されます。

  

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創建神話によれば約2000年前、倭姫命が伊勢神宮へのお供えの神饌(食物)を採るための御贄地(みにえどころ)を探し求め海山の幸が豊富な志摩の国に行ったところ磯部あたりで、一羽の鳥が昼も夜も鳴き叫んでいたそうです。下の写真は伊雑宮付近の白鷺です。

 

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不思議に思った伊佐波登美命(代々の伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる方)が、家来の紀麻良に見に行かせると、今まで鳴いていた鳥が鳴きやんで、何かを落としたそうです。それは見事な稲穂でした。この稲穂を落とした鳥は「白真名鶴」であったといいます。

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倭姫命はその話を聞き感心し「物言わぬ鳥でも、このようにして大御神様に仕えまつる」と申し、伊佐波登美命に託しこの稲穂を抜穂にしてお供えたそうです。伊佐波登美命がお宮を造って天照大神を祀ったのが伊雑宮の始まりだそうです。「鶴の穂落し」といいます。

 

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また酒造会社の沢の鶴の創設者が伊雑宮へお参りしたときにこの縁起を拝見し、いたく感激し、これにちなんで社名を「沢の鶴」と名づけたそうです。境内に奉献酒として沢の鶴があります。

 

天照大御神の遙宮として広く信仰を集め、地元の人々からは海の幸、山の幸の豊饒(ほうじょう)が祈られてきました。

 

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伊雑宮社殿東側古殿地 第63回式年遷宮(2033年)でこちらに移動します。

 

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伊雑宮社殿西側 道がありますが入林禁止です。この先へは進めません。この道を進むと樹齢1000年を超す大杉の二本杉があるそうです。二本杉は一番最後載せてある周辺地図でも確認できます。 

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境内にある勾玉池です。よく見るとまが玉の形をしています。伊勢神宮・外宮にも勾玉池があります。 

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 伊雑宮から南へ歩いていくとバス駐車場の前に御神田があります。御神田とは、伊雑宮の南側に隣接する御料田のことです。東側に黒木の鳥居が立っています。皮付きの木です。社殿の無いところで神事を行う場合に用いられる珍しいものだそうです。神宮神田にも同じく黒木の鳥居が立っています。

 

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ここで有名なのが毎年6月の月次祭にあたる6月24日に伊雑宮で行われる御田植式です。(他の田んぼの田植は台風が来る前に収穫できるように早生になり田植も早まりました。ここだけは古式を守るので伊勢志摩地方で最も遅い田植となっています。)これは千葉の香取神宮・大阪の住吉大社と合わせて日本三大御田植祭の一つとされています。歴史は古く平安時代末期から鎌倉時代ともいわれ国の重要無形民俗文化財に指定されています。隣接する神田で地元の磯部町の人々が奉仕して行われます。朝から夕方まで多彩な神事が繰り広げられ、志摩の初夏の風物詩です。梅雨ですが不思議と祭事中は雨が降りません。田んぼの中に鎮守の森が美しい、のどかで明るく素朴な雰囲気のお宮です。また神田を持つ唯一の別宮です。余談ですが、祭事の日には七尾の鮫が海神の使いとして参拝に来るという伝説があります。この日、志摩の海女は海に入りません。鮫に遭うと食われるそうです。祭事の起源は磯部に伝承される「鶴の穂落し」の故実に依るものとされています。

 

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神武参剣道場 

伊雑宮の正面にあった旅館「吉角」の跡地に、1961(昭和36)年に剣舞道場として建築されました。現在は剣道場として使われています。北隣には国登録有形文化財の「中六」があります。伊勢湾台風時に倒れた木が材料として用いられたと伝えられています。正面玄関には千鳥破風を設け、その上に「参剣」を表した鬼瓦をのせています。

 

建物右側に天之八衢神社(あめのやちまたじんじゃ)を敷地内で祀っています。創設したのは小泉太志命氏です。剣術の達人で、昭和天皇のボディーガードも務めていたとか。弟子に角川書店元社長の角川春樹らがいます。

 

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中六 伊雑宮の正面にある現在はうなぎ料理店です。屋号の「中六」は伊雑宮の御師であった中六太夫から取り、江戸時代には旅館が建てられていたと言われています。1929(昭和4)年に旅館として建築されました。今は落ち着いた場所ですが昔は伊雑宮のある上之郷村は鳥居前町として大いに賑いました。

 

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江戸時代には外宮・内宮参拝の後に伊雑宮に詣でることも珍しくありませんでした。伊勢三宮といい伊雑宮の権威を高めようと内宮・外宮に並ぶ第三極と位置づけようとした時もありました。また一般的に伊雑宮を志摩国一之宮といいます。(鳥羽市の伊射波神社とする説もあります)伊雑宮の前の中六は賑わった往時の風格を令和の時代にも残しています。 

 

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伊雑宮に隣接する場所に「御師の家」があります。伊雑宮の御師を祖先に持つ方が自宅を改装し御田植祭の様子を中心に写真や動画の上映で伊雑宮にまつわる地元文化を紹介しています。

 

 

 

参拝の注意

最近、猿による住民襲撃が近所で相次ぎ伊雑宮で2019年には参拝中の女性が左足をかまれ、けがをしています。ご注意ください。

 

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伊雑宮周辺地図

 

 

伊雑宮

住所 〒517-0208 三重県志摩市磯部町迫間上之郷374 電話番号0599-55-0038 

参拝時間:午前5時から午後6時まで。(参拝停止時間は5月から8月までは午後7時まで、10月から12月までは午後5時まで)お札や御朱印のお取り扱いもしています。アクセス 近鉄「上之郷駅」下車徒歩5分。三重交通バス「川辺」バス停から徒歩10分。

 

 

 

  

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