125社めぐり 外城田編
125社めぐり 外城田編 お参り10社
外城田(ときだ)の田丸平野、この平野を縁取るように熊野街道と伊勢本街道(初瀬街道)が並行して西から東へと続いています。古来、陸上交通の要地でした。昔の旅人も見た伊勢三山( 局ヶ岳、白猪山、堀坂山)が西の空に見える地です。田園地帯が広がりこんもりとした森の中に農耕の神をまつる神社が多い。
御船神社みふねじんじゃ
皇大神宮摂社 祭神、大神御蔭川神おおかみのみかげかわのかみ
同座 牟弥乃神社むみのじんじゃ
皇大神宮末社 祭神二柱、寒川比古命さむわかひこのみこと 寒川比女命さむかわひめのみこと
【御船神社・牟弥乃神社】 三重県多気郡多気町土羽字南出505
祭神は航路交通の守り神です。境内入口に堂々とした天保十四(1843年)と刻まれた常夜燈があります。文政6年(1823)の石階等も残されています。
同座の牟弥乃神社は田畑の灌漑となる外城田川の守り神です。
出入口は二か所、西側にもあります。
周囲は田園地帯ですが社名の「御船」とは倭姫命が宮川の支流、外城田川を遡り天照大神の鎮座地を探している途中で川の終点地であったこの地で御船を停めて定めた社に由来するからです。神社から200m程行くと外城田川が見えます。
神社前には太陽光発電ソーラパネルが並べられています。
倭姫命が定めた由緒正しい社の前に多数のソーラーパネル。古代と現代の対比が面白い。
朽羅神社くちらじんじゃ
皇大神宮摂社 祭神二柱、千依比賣命ちよりひめのみこと 千依比古命ちよりひこのみこと
【朽羅神社】 三重県度会郡玉城町原字森ノ前272
祭神は田畑の農耕神です。社名の「くちら」は「籠る」の意味だそうです。印象的な鎮守の森を持ち125社めぐりの中で代表的な社です。入口には天保3年(1832)の常夜燈が建っています。祭神は大歳神の御子神です。
広々とした田園が広がる中にぽっかりと浮かぶ緑の小島ようです。こんもりとした鎮座の杜を茂らせています。この姿に、はるばる訪れる人も多い摂社です。
この森の主であったであろう古木の切株。
神が籠るこの森を地元では宮田森といいます。柿畑からも。柿は玉城町の代表的な農産物、早生次郎柿です。
田園地帯のどこから見ても浮かぶ緑の小島。娘はブロッコリー島と呼んでいます。
いろいろな角度から眺めたい。
特徴的な姿は前記した御船神社・牟弥乃神社からも分かりやすい。
津布良神社つぶらじんじゃ
皇大神宮末社 祭神二柱、津布良比古命つぶらひこのみこと 津布良比賣命つぶらひめのみこと
【津布良神社】三重県度会郡玉城町
祭神の二柱は大水上神の御子で、田畑の水神です。
石段前には文化12年(1815)在銘の水盤があります。
石積で巡らせてある境内は、人の気配は感じないが正しく整っている不思議な感覚。
地名の玉城町積良の「ツムロ」は古墳を意味します。この山麓にはこの地域を開拓した内宮の世襲神主、荒木田氏の墳墓があり祖先神が行われていたそうです。なだらかな山の地形は盛土をした古代の古墳のようにも見える。
神域内の祠
田畑の水神を祀るだけあり、社の後ろはため池です。
参道からは積良の集落が見えます。鳶が鳴きながら上空を旋回していました。
鴨神社かもじんじゃ
皇大神宮摂社 祭神は二柱、石己呂和居命いしころわけのみこと 御前神みまえのかみ
【鴨神社】三重県度会郡玉城町山神字岡谷1398
祭神は農耕灌漑の守護神です。鶯鳴く山道を15分程、登ると沢音が聞こえてきます。境内は山の中腹にあります。現在は山の中に鎮まっていますが江戸時代の寛文年間に再興されたものです。元々は玉城町山神の村の中に鎮まっていたようです。秋には境内を取り囲むもみじの紅葉が美しい。平野部が多い125社めぐりの中で山中に鎮まる数少ない神社の一つです。筋肉痛を覚悟して参拝下さい。
山神集落の最も南側に入口があります。
鶯鳴く山道を20分程、登ると沢音が聞こえてきます。そこが苔むした鴨社の参道です。
山の中の神社ですが社地は開けており開放感があります。明るくて気持ちがいい場所です。
神社奥の山道を進むと洞窟があります。泉が湧き出すこの洞窟は斎宮の斎王や貴族の為の氷や雪を貯蔵する氷室の跡だそうです。
神社下を流れる沢の水はどんな日照りでも枯れたことがないそうです。地元では「鴨の谷様」と呼んでいます。
神社から左側に進むと的山公園の道に繋がります。公園頂上は整備されており展望台からは伊勢平野を見下ろせます。遙かに朝熊山や伊勢湾を眺め得られます。約3キロ先の小社神社も見えます。勾配はありますが舗装されており、この道を使って参拝するのもおすすめです。
田乃家神社たのえじんじゃ
皇大神宮摂社 祭神、大神御滄川神おおかみのみさむかわのかみ
同座 田乃家御前神社たのえみまえじんじゃ
皇大神宮摂社 祭神、御前神みまえのかみ
【田乃家神社・田乃家御前神社】三重県度会郡玉城町矢野字宮前387
田乃家とは田んぼの戸、つまり御田を耕作する民戸のことです。祭神は農耕する人と家の守り神です。神名に大神と付くのは天照大神のご神徳がこの地におよび定めた神社という由緒を示します。格式高い社です。地元の有名店、ラーメン王富の近くです。
矢野地区に鎮座し入口は分かりにくいが紀州藩が享保甲辰1724年に建てた禁殺生石が立ちます。
参道は赤土です。外城田・田丸は赤土が多い。
天保13年1842年刻印の水盤も置かれています。
蚊野神社かのじんじゃ
皇大神宮摂社 祭神、大神御蔭川神おおかみのみかげかわのかみ
同座 蚊野御前神社かのみまえじんじゃ
皇大神宮摂社 御前神みまえのかみ
【蚊野神社・蚊野御前神社】 三重県度会郡玉城町蚊野字里中1807
祭神は神社が鎮座する玉城町蚊野地区の田畑を潤す外城田川支流の川の神です。灌漑用水の神。地元では「かなもりさん」と呼ばれています。
古い町並みが残る蚊野集落中央にあります。社の前では農作業のご婦人3人がおしゃべり。境内では野良猫が戯れ生活の匂いがします。
境内は苔むしています。
棒原神社すぎはらじんじゃ
皇大神宮摂社 祭神は二柱、天須婆留女命御魂あめのすばるめのみことのみたま 御前神みまえのかみ
【棒原神社】三重県度会郡玉城町上田辺字朝久田2466
祭神は社のある丘陵地一帯の守り神です。
祭神「天須婆留女命御魂」スバル星(おうし座・プレアデス星団)に由来する神名からは農耕の吉凶を星の働き、見え方で占う信仰が行われていたと伝えられています。
約100段近くある勾配のある石段を登ります。地元では濃い緑の小山のような鎮座の杜を「杉の森」と呼んでいます。
この丘陵地には荒木田氏の関係する古墳が約40か所も密集してます。参道脇にも古墳があるそうです。
占い・呪術を行っていたとされる社ですが陰湿な空気もなくからっとした雰囲気です。
南側に開けた眼下にJR参宮線や田畑が広がります。
玉城町の摂社・末社には「禁殺生」の石柱が立っています。紀州藩が立てたもので紀州領の摂社・末社の境内には立てられています。三重県玉城町が紀州藩の領となったのは第2代徳川将軍、徳川秀忠の代から明治維新までです。家康の十男、頼宣が1619年に初代紀伊藩主になり御三家の一つとなった時に紀伊藩領であった大和・山城18万石の領地と藤堂藩領の白子・松阪・田丸とが替地され田丸は藤堂領から紀州領になったのです。