125社めぐり 田丸編
125社めぐり 田丸編 お参り5社
田丸城跡を中心に田園地帯広がる玉城町。田丸の地は皇大神宮の世襲神主であった荒木田氏が開拓し本拠地としていました。その「荒木田」姓は新しく切り開いて作った田、「新墾田」に由来します。戦国時代には北畠氏によって築いた田丸城の城下町でもありました。田園地帯に鎮まる小社神社や鴨下神社など伊勢平野を潤す河川や灌漑用水など雨や水に関わる神を祀っています。玉城町に15社の摂社・末社が集中し、全て内宮に所属しています。
坂手国生神社さかてくなりじんじゃ
皇大神宮摂社 祭神、高水上神たかみなかみのかみ
【坂手国生神社】 三重県度会郡玉城町上田辺字大山田二144-1
明治維新まではこの辺りに内宮の田上神田があり毎年18俵を奉納していました。祭神はその灌漑を守る水の神です。かつて、社地は広大で五町四方もあったそうです。
坂の上にあることからこの社名とされています。地元では「さかだいさん」と呼ばれています。
坂で砂利が流されやすい為か125社めぐりの中では珍しい敷石
藪椿 社殿前は黒の玉砂利
参道中ほどにある手水鉢、小鳥たちの水飲み場となっています。
祭神は水神。神社前は牛尾崎と呼ばれる池です。その認識を深めます。
鴨下神社かもしもじんじゃ
皇大神宮末社 祭神は三柱、石己呂和居命いしころわけのみこと 鴨比古命かもひこのみこと 鴨比賣命かもひめのみこと
【鴨下神社】三重県度会郡玉城町勝田 字上ノ山3642
三柱の祭神は地元勝田の水利灌漑を司る神です。125社の一社、鴨神社が鎮座する山の裾野に位置する為、鴨下と呼ばれます。社の周辺には墓地やぶどう畑などの田園風景が広がります。
明るい雰囲気のする鎮守の森
神社前はビワの木
神社西側は墓地
垣根の中で臭いのはヒサカキの花・・・。鼻が曲がります。
奈良波良神社ならはらじんじゃ
皇大神宮摂社 祭神、那良原比女命ならはらひめのみこと
【奈良波良神社】三重県度会郡玉城町宮古字矢倉戸833
祭神はかつて楢の木が茂る原野であったこの辺りの産土神です。今は檜や杉が茂っています。戦国時代には一時途絶えましたが、かつて外宮神領「宮古御園」があった宮古地区に再興されました。倭姫命が定めたお宮です。
春は芽吹きの季節、この時期のヒサカキは臭い。入口に生えています。神社横に工場があるので疑いましたがそこから漏れた匂いではありません。
境内入口にある禁殺生石や参道かたわらの無骨な自然石の手水鉢。禁殺生石は享保甲辰と刻まれています。江戸時代の享保9年西暦1724年、今から300年前に建てられた紀州藩の石柱です。
境内はすっきした印象です。
小社神社おごそじんじゃ
皇大神宮末社 祭神、高水上命たかみなかみのみこと
【小社神社】三重県度会郡玉城町積良字坪垣内1000
祭神は、その名の通り水神です。地元では雨の宮と呼びます。日照りが続くと雨乞い祈願をしました。内宮の世襲神主、荒木田氏がこの地方を開拓して本拠地にしていた当時の一門の氏神として尊んだお宮です。倭姫命が定めました。
田園地帯の真ん中でこんもり繁った大きな森で境内も広い。下外城田小学校近くです。
境内にある水盤には天保3年(1832)と刻まれています。
木漏れ日が社殿を光らせていました。
目の前の農業用水。田畑を潤す水の神様に見守られております。
田園地帯に鎮まる社で遠くからも目立ちます。鴨神社近くの的山公園展望台から約3キロ以上離れた小社神社が確認できます。
鴨神社が祀られている山が北西に見えます。
狭田国生神社さたくなりじんじゃ
皇大神宮摂社 祭神は三柱、速川比古命はやかわひこのみこと 速川比女命はやかわひめのみこと 山末御魂やまずえのみたま
【狭田国生神社】三重県度会郡玉城町佐田字牛カウベ322
狭田とは川の支流に挟まれた細長い田んぼのことです。祭神は神社東側を流れる外城田川の川の神(速川比古命、速川比女命)、と土地の守護神(山末御魂)です。倭姫命が立ち寄り定めました。地元では「はいこさん」と呼ばれています。毎年1月17日に地区長達の参拝する習わしがあります。高々と繁る鎮守の森が遠くからも見えます。
春には外垣の椿が美しい社です。
社号標には佐田國生神社と記されている
入口に紀州藩の建てた禁殺生(享保甲辰・1724)の石柱が立ちます。紀州藩領内の摂末社に建てられたようです。
ここには摂社では珍しく社殿に並ぶ古殿地がありません。
堀が深い外城田川。この川の神が祀られています。
近くには田丸城があり神社北側は旧伊勢本街道です。車は運転しにくいですが敵勢来襲の工夫として防衛機能を重視した武者隠しが施されています。